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広島地方裁判所三次支部 昭和32年(わ)25号 判決

被告人 丸亀保 外七名

主文

被告人丸亀保、同福原明歳を各懲役拾弐年に

同湯藤格四郎を懲役四年に

同福原貢を懲役八年に

同樹野正美を懲役参年に

同中尾一正を懲役壱年に

同板村忠義、同細川展男を各懲役六月に

各処する。

未決勾留日数中、被告人丸亀保、同福原明歳に対し各弐百弐拾日、同湯藤格四郎に対し八拾日、同福原貢に対し弐百日、同樹野正美に対し弐百五拾日、同中尾一正に対し百日、同板村忠義に対し参拾日を各本刑に算入する。

被告人細川展男に対し、本裁判確定の日から弐年間右刑の執行を猶予する。

押収にかかる十四年式拳銃一挺(昭和三十二年領第一四号の二)、同拳銃の弾頭二箇(同号証の二二)、同拳銃の薬莢三箇(同号証の二三)、同拳銃の実砲一箇(同号証の三)は、これを没収する。

訴訟費用中、証人田中正夫、同河井忠、同望月健一、同福島孝行に支給した分は被告人丸亀保、同福原明歳、同福原貢、同樹野正美の、証人谷川一二三に支給した分は被告人丸亀保、同福原明歳、同福原貢、同樹野正美、同中尾一正、同板村忠義、同細川展男の、証人福浦信孝に支給した分は被告人丸亀保、同福原明歳、同樹野正美、同中尾一正、同細川展男の、証人石田泰敏、同亀本百合子に支給した分は被告人丸亀保、同福原明歳、同樹野正美の、証人森岡清に支給した分は被告人福原明歳の、証人山口勝次、同池本繁一に支給した分は被告人湯藤格四郎の、証人日川一馬に支給した分は被告人中尾一正の各負担とし、被告人中尾一正、同板村忠義、同細川展男の各国選弁護人に支給した分は当該被告人の各負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人福原明歳、同湯藤格四郎は、いずれも三次市十日市町所在の俗に「原田組」と称する興行並びに土建請負業経営者原田豊のもとに出入りしていたもの、被告人丸亀保は右原田組に出入りのあつた遊人亡中山繁美の輩下に属していたもの、被告人福原貢は被告人福原明歳の実弟で被告人丸亀保と交友関係をもち、右被告人等四名はいずれも一定の生業をもたず無為徒食していたもの被告人樹野正美、同中尾一正は、いずれも広島市宇品町所在の俗に「浜本組」と称する競輪予想並びに競輪新聞発行等をしている浜本兼一のもとに使用人として出入りしていたもの、被告人板村忠義は被告人中尾の、被告人細川展男は被告人樹野の、各輩下に属していたものであるところ

第一、被告人福原明歳は、昭和三十二年三月十六日午後十一時過頃同月初旬頃から三次市十日市町所在同被告人の叔父にあたる福原喜久正方に浜本組の客分として寄寓していた被告人樹野正美と共に、同市三次町大正町に出向いたところ、被告人樹野が同町飲食店「万福」こと五阿彌寛恵方において、偶々同店に居合わせた以前原田組に出入りしていたことのある遊人河井忠とビールのコツプのやりとりに端を発して喧嘩口論をなし、被告人等は一旦同市栗屋町にある被告人福原の実兄福原弘明方に引揚げたが、被告人樹野は持前の遊人気質から売られた喧嘩にこの儘引込む術はないと憤慨し、他方被告人福原も被告人樹野に対する遊人としての義理と、平素より前記河井及び同人の兄弟分たる前角敏道等の行動を快く思つていなかつたこと等のため、被告人両名は共謀の上、今一度河井に面して喧嘩の結末を有利に導くべく、同人の応酬如何によつては同人を殺害することも止むなしという意図のもとに、予て被告人福原が右弘明方納戸仏壇下に隠し置いた拳銃二挺を取出し、被告人樹野において十四年式拳銃(昭和三十二年領第一四号の二)に、被告人福原においてブローニング型拳銃に夫々実弾を装填して各自これを携え、翌十七日午前零時過頃前記喧嘩の現場である万福食堂へ引返し(その途中被告人樹野は所携の十四年式拳銃を型が大き過ぎて人目に触れ易く携帯に不便なりとして同行の谷川一二三に手渡す)、被告人樹野において引続き同店で飲酒中の前記河井に対し、「表え出ろ、話をつけてやる」と呼出しをかけ、これに応じて表路上に出た河井と一時相対峙したが、ほどなく同人がその場を逃れたため、更に被告人両名は右河井の後を追い、同市三次町住吉町所在の同人方住居附近を徘徊して殺人の予備をなし

第二、被告人樹野正美は、前記河井方附近を徘徊して引揚げる途次の翌十七日午前一時五十分頃同市三次町大正町料亭「新花月」こと村竹至方前路上において、前記喧嘩の報せをうけて駈けつけた河井の兄弟分前角敏道と出会うや、「われが河井の兄弟分か」と申し向け、同人が「旅に来てまでお前らにおおものを言わせはせん」と逆に挑戦的態度にでるや、更に「お前もついでにバラしてやろうか」等と怒号し、共にその場にいた福原明歳の携帯する前記ブローニング型拳銃を素早く手に取つて、これを右前角の腹部に突きつけ、同人の生命身体に危害を加えるような態度を示して脅迫し

第三、被告人樹野正美は、判示第二記載の犯行直後、逆に前角敏道から惨々の暴行を受けて身体数ヶ所に負傷し、同行の福原明歳と共になんらなすところなくその場を引揚げたが、前角の仕打ちにいたく憤慨し、同日午後十時過頃同市十日市町二千七百三十八番地浜本孝顕方において、報せにより参集した被告人中尾一正、同板村忠義、同細川展男等の広島グループ並びに福原明歳、湯藤格四郎、丸亀保、福原貢等の三次グループを交えて、種々その対策を協議した結果、被告人樹野、同中尾、同板村、同細川は右福原明歳、丸亀保等と共に、前角に対する仕返しとして同人を殺害することを共謀し、翌十八日午前零時過頃判示第一記載の福原明歳の持出した拳銃のうち、被告人板村がブローニング型拳銃一挺を、丸亀保が十四年式拳銃一挺を夫々携え、被告人細川及び福原貢が見張役として、同市三次町稲荷町千九百五十九番地の前角敏道方附近に到り、暫時徘徊して同人殺害の機会を窺い、殺人の予備をなし

第四、被告人福原明歳は、前記の如く樹野正美が河井忠と喧嘩口論したことから、これを聞いて駈けつけた前角に拳銃を突きつけたりなどし、却つて同人のために殴る蹴る等の暴行をうけて負傷するに及び、樹野と同行しながら客分として寄寓していた同人に怪我をさせたことの義理等から、又被告人湯藤格四郎は、嘗て飲代のことで河井忠に因縁をつけられ、同人等の攻撃に備えて被告人福原明歳から拳銃の貸与方承諾を受ける等したことがあつたので同被告人に対する恩義と被告人湯藤自身も右のようなきつかけから河井及びその兄弟分前角敏道等に対して快く思つていなかつたこと等のため、又被告人丸亀保、同福原貢の両名はいづれも被告人福原明歳に協力する立場から、負傷した樹野正美並びに中尾一正等広島グループを交えて判示第三記載の如く前角に対する仕返えしとして同人の殺害を企てたが失敗し、同月十八日三次で起きた事は三次側の者で片附けるという話合いにより、樹野正美、中尾一正等の広島グループは右仕返しを被告人等に一任して三次を引揚げ、一方被告人等は同月二十日頃から同市十日市町二千八百六番地福原喜久正方において、被告人福原明歳、同湯藤格四郎が中心となつて、前記前角に対する仕返しにつき謀議を重ねた結果、その実行方法として、犠牲を尠なくするため被告人丸亀において単身拳銃によつて射殺すること、被告人福原貢は現場の見張り並びに逃走用の舟の準備をなし、若し被告人丸亀が仕損じた場合は匕首(同号証の一六)をもつて刺殺すること、実行の時期については、被告人湯藤において前角の所在を捉えて通報すること等の各役割を定め、又被告人福原明歳は兇器としてその所有に係る拳銃二挺を被告人丸亀に提供する等して手筈を整え、更に同月二十二日頃同市十日市町旅館「静荘」こと露天商樽岡正則方において、同人を媒酌人、被告人湯藤並びに福原喜久正を立会人として、被告人丸亀と被告人福原明歳及び同福原貢との間に、互に兄弟分の契を結ぶべく盃を取り交わして益々その結束を固めた後同月二十六日頃及び同年四月一日頃の二回に亘り、被告人丸亀において被告人湯藤の道案内により、前記十四年式及びブローニング型拳銃の二挺を携えて同市三次町稲荷町山口勝次方附近を徘徊したが、その頃より被告人湯藤において漸く事の重大性に気が付き始めて前記殺害計画の加担に躊躇し、積極的な手だてをしなかつたために目的を果すことができず、その後被告人丸亀、同福原貢は、更に前角の所在を探し当てるべく屡々市内の盛場等を徘徊しているうち、同月七日午後九時過頃市内巴橋西詰附近において、自転車に乗つた前角が巴橋を渡つて十日市町方面に行く姿を発見するに至り、同人の帰りを待ちうけて前記殺害の謀議を実行に移すべく、被告人丸亀は前記十四年式拳銃(同号証の二)を携えて同所附近で前角の帰りを待ちうけ、被告人福原貢は前角が帰つて来たらライターに点火して合図することを打合わせて十日市町方面に行き、同人の帰りを見張つていたところ、午後十時二十五分頃自転車に乗つて巴橋東詰附近を帰る前角の姿を認めるや、被告人福原貢は直ちに所携のライター(同号証の一七)に点火して所定の合図をなし、次いで右前角が巴橋を渡つて同市三次町官五十八番地滝川アキノ方前道路上にさしかかつた際、被告人丸亀において前角を呼びとめ、これに応じて同人が自転車を停めた瞬間、突如所携の前記十四年式拳銃を一回発射して腹部に命中させ、更に倒れた同人に対し二回発射してそのうち一発を頭部に命中せしめ、因てその場で前角をして、腹部貫通銃創による動脈幹の破綻に基く出血のため、即死するに至らしめて殺害の目的をとげ

第五、被告人中尾一正は同年十二月十四日午後八時頃広島市皆実町松尾パチンコ店皆実支店において、同店責任者長木十三男に対し自己と懇意な間柄の大竹義隆が二、三日前同店従業員に暴行を加えたため、同店従業員がこれを警察に密告したことに因縁をつけ、「お前はわしの若い者を警察問題にしたのか」と怒号し、更に「一杯飲んで話をつけよう」と申し向けて暗に飲食物の提供を要求し、若しこの要求に応じない場合は如何なる危害をも加えかねまじき態度を示して同人を畏怖させ、因て畏怖せる同人をして午後八時頃から午後十時頃迄の間、同町三丁目バー「養老」こと森本卓治方において清酒十一本ビール一本等の飲食物(代金千六百八十円相当)を、午後十時頃から午後十一時過頃迄の間同町三丁目カフエー「アジア」こと山辺一雄方において清酒四本ビール二本、果物等の飲食物(代金千八百七十円相当)を提供させて、これを喝取し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人田坂戒三の主張に対する判断)

弁護人は、被告人湯藤の判示第四記載の犯行につき、相被告人等と前角殺害の謀議に加担したことは認めるが、その後被告人湯藤は前角殺害の犯意を放棄し、前記通謀関係からも脱退したので同被告人に殺人罪の刑責を問うことはできない旨主張するが、前顕各証拠により明らかなように、被告人湯藤が相被告人等の実行着手前において、殺害計画の重大性を認識してこれが実行加担に躊躇しはじめ、ひいては前記通謀関係から離脱する意思を包懐するに至つたことは認められるが、それ以上に他の通謀者に右通謀関係から離脱する意思を表意して、これが解消を計るに適切な措置を採つた形跡はなんら認められないから、右のような意思を包懐していたという一事によつては、相被告人において実行に及んだ前記謀議に基く犯罪の刑責を免れることはできない。従つて弁護人の右主張はこれを採用することができない。

(被告人樹野に対する累犯前科)(略)

(法令の適用)

被告人丸亀保に対し

判示第四の所為につき刑法第百九十九条第六十条(有期懲役刑選択)、第二十一条、第十九条第一項第二号前後段第二項、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文。

被告人福原明歳に対し

判示第一の所為につき刑法第二百一条第百九十九条第六十条、第四の所為につき同法第百九十九条第六十条(有期懲役刑選択)同法第四十五条前段第四十七条但書、第二十一条第十九条第一項第二号前後段第二項、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文。

被告人湯藤格四郎に対し

判示第四の所為につき刑法第百九十九条第六十条(有期懲役刑選択)、第二十一条、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文。

(情状)

本件前角殺害の犯行は相被告人丸亀により直接実行されたが、右犯行は予め被告人等によつて樹てられた周到な殺害計画の具体的発顕であつて、この殺害謀議に関与した被告人の刑責も決して軽いものではない。しかしながら他方、判示認定のようなきつかけから本件謀議に関与するようになつたとはいえ、謀議後殺害行為がなされる迄の間被告人のとつた所為は、自己の役割として分担した前角所在の通報に関し、表面的には二度に亘つて相被告人等に所在を通報して重要な役割を演じているかに見受けられるが、被告人はこの頃から漸く被告人等の企図している事柄の重大性を認識しはじめ、その結果相被告人等に対する義理合から二度に亘つて前角の所在を連絡して道案内をしたものの、いづれもそれ以上積極的な挙に出ず、被告人としてはなんとかして前記通謀関係から離脱したいという意思を包懐していたこと、更に被告人には暴力的素質も認め難く、本件審理の過程においても深く前非を悔い改悛の情も顕著である点は被告人のため量刑上考慮した。

被告人福原貢に対し

判示第四の所為につき刑法第百九十九条第六十条(有期懲役刑選択)、第二十一条、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文。

被告人樹野正美に対し

判示第一、三の各所為につき各刑法第二百一条第百九十九条第六十条、第二の所為につき同法第二百二十二条第一項罰金等臨時措置法第二条第三条(懲役刑選択)、第一乃至第三の各罪につき各刑法第五十六条第一項第五十九条第五十七条、同法第四十五条前段第四十七条本文(犯情の最も重いと認める判示第三の殺人予備罪の刑に加重処断)、第二十一条、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文。

被告人中尾一正に対し

判示第三の所為につき刑法第二百一条第百九十九条第六十条、第五の所為につき同法第二百四十九条第一項、第四十五条前段第四十七条但書第二十一条、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文。

被告人板村忠義に対し

判示第三の所為につき刑法第二百一条第百九十九条第六十条、第二十一条、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文。

被告人細川展男に対し

判示第三の所為につき刑法第二百一条第百九十九条第六十条、第二十五条第一項、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文。

(昭和三十二年七月十三日附訴因変更請求にかかる主たる訴因に対する判断)

本件公訴事実中、昭和三十三年七月十三日附訴因変更請求にかかる主たる訴因の要旨は、被告人樹野正美は同年三月十七日三次市大正町万福食堂において河井忠と喧嘩口論し、同月午前一時三十分頃同町千三百十一番地料亭新花月こと村竹至方前路上において、これを聞いて駈けつけた右河井の兄弟分前角敏道に出会うや俄かに同人を殺害しようと企て、同人に対し「われが河井の兄弟分か、われもついでにバラしてやろうか」と申し向け、所携のブローニング型拳銃を突付けて同人を射殺しようとしたが、偶々弾丸が発射しなかつたため殺害するに至らなかつたというにあるが右事実中前記日時場所で被告人が河井忠と喧嘩口論したこと、及びこれを聞いて駈けつけた同人の兄弟分前角敏道に「われもついでにバラしてやろうか」と申し向けてブローニング型拳銃を突付けたことは、判示第二認定の各証拠によりこれを認めることができる。

そこで右は、被告人が殺意を以て拳銃を突付け、引金を引いたが発射しなかつたものであるかどうかの点について検討するに、第二回公判調書中の証人田中正夫及び第三回公判調書中の証人安田巽の各供述記載によると、被告人樹野は右拳銃を突付けた際却つて前角から殴る蹴る等の暴行を受けて負傷した後、右証人等と共に福原喜久正方に引揚げたが、その際ブローニング拳銃を見ながら証人等に対し「おかしいのう、これが出んとは」とか、「弾が出なかつたのでしまつたことをした」等と述懐していたこと、又被告人福原明歳の当公廷(第十一回公判)における供述等によると、被告人樹野は広島から輩下の細川、板村等を呼び寄せた際も、前同様拳銃をとりだして「この弾が出んばかりに恥をかいた」と同人等に説明していたことが認められるところ、被告人樹野は当公廷(第十回公判)において、拳銃の引金を引いたが弾が出なかつたため恥をかいたと述べたことはその通り間違いないが、これは他の被告人らの手前上、みじめな負け方をしたことに対する自分の面子を立てるためそのような負け惜しみを言つたまでのことで、当時相手側や見物人も多数居りその面前で前角を射殺する意思なく従つて真実引金を引いていないと極力弁解している。

そこで被告人の右供述の信憑性につき考察するに、前記証人安田巽の供述記載によれば、被告人樹野は前角にブローニング拳銃を突付けて間なしに、「やくだからはやばにずらせ」と言つて該拳銃を安田に手渡し、同人はこれを福原喜久正方に持ち帰り、直ちに同家電灯の光で拳銃の遊底を引張つて内部を見たところ、弾は薬室に入つていて引金を引けば発射しうるような状態にあつたこと、同じ日安田が該拳銃の試射に行つた際、一発目は引金を引くことによつて簡単に発射したが、二発目は引金を引いても弾が遊底にひつかかつて、弾倉から薬室に入らないために発射しなかつたことが窺われ、又右安田証人の供述記載及び被告人福原明歳の供述(第十一回公判)によると、被告人樹野が前記拳銃を前角に突付けた当時、拳銃に安全装置がかかつていたかどうか見ていないので判らない旨述べられており、これら事実を綜合すれば、被告人樹野が前角に突付けた当時の拳銃には、弾は薬室内に入つていて、安全装置がしてあるとか或は拳銃自体に何らかの故障があつたとかいう例外の事由のない限り、引金を引けば弾は自然に発射しうる状態にあつたものと推認される。そして本件においては、右例外事由の存在についての証拠は、前掲安田証人の「被告人樹野がやくだからはやばにずらせと言つて拳銃を渡してくれた」という供述記載以外にはなく、右供述の意味も同証人のその余の供述及び拳銃を突付け対面した当時の現場の状況等からみて、必ずしも故障で使いものにならないということを意味しているものと理解することもできないから、この点に関する証明はないことに帰し、結局訴訟法上拳銃に安全装置がされてあつたとか、機能障がいがあつたとか等の例外事由の事実はなかつたものとして扱わざるを得ない。そうすると、右のように弾は薬室内に入つていて引金を引けば自然に発射しうるような状態にあつたことの事情並びに犯行現場の状況等に徴するときは、被告人の前記供述もいちがいに排斥し難いところであり、他に被告人が引金を引いたことを肯認するに足る資料は存しない。

更に殺害の犯意の点についても、前角から暴行を受けた後の段階ならまだしも暴行を受ける前の対面当初において、しかも判示第二認定の各証拠によれば当時相手側の者も相当居る面前での出来事であつたことが認められる本件において被告人が起訴状記載のように俄かに同人殺害の決意を生じたものとも認めがたく他にこれを認めるに足る資料はない。

以上のような理由により、本件主たる訴因事実並びにその訴因事実に内包される殺人予備の事実については、結局犯罪の証明がないことに帰するので、更に予備的訴因である脅迫について審理をとげ、判示第二のように認定した。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 伊達俊一 赤木薫 丸山明)

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